経験の積み重ねで生まれた“システムカウンセリング”
労組役員を経験して学んだ「カウンセリング」と「キャリア開発」
大手情報通信機器メーカーに勤務し、特に工場における製造技術を15年間担当していましたが、職場の先輩方から労働組合専従役員に推され、1990年から専従役員として過ごしてきました。一般的には「会社に入ったらこのような技術を身に付けて成長したい、ある程度えらくなりたい」と思っている方が多いし、労組役員になりたくて会社に入る人は皆無であると思います。企業内組合という若干の甘えや、自分にとって「ネットワークを広げる良い経験かも・・・」と判断して、専従役員となってみましたが、以前の高度成長時代の労働組合とその後の労働組合とでは、まったく違ってくることを想像することもありませんでした。
当時は円高ショックのあおりで、工場部門の構造改革の対応が始まり、工場部門の古い設備や、そこで働いている方々を、別の企業に移管していく取り組みが始まってきました。その後のバブル崩壊以降は、工場の中国進出の必要性は認識しつつも、いかに「工場をそのままの場所に残して、組合員の雇用の場を確保していくか?」を課題として、様々な取り組みを行ってきました。合わせて、同時期に議論されてきた成果主義賃金制度が導入されて、働く人々の環境が突如一転しました。毎年給料が増える定期昇給や、年功序列賃金が無くなり、多くの工場労働者には、厳しい制度となってきました。また、当初このような成果主義賃金制度は、能力があり成果が発揮できる人には優位と考えられていましたが、能力がある人・・・といっても、いつかは体力や能力の衰えもあるので、全体として厳しい環境下におかれたこととなります。合わせて、世の中に広がった成果主義賃金制度に加え、日経連は「雇用のポートフォリオ」という考え方を示して、働く人々のランク付けという考え方が入ってきました。現在の非正規労働者の問題は、この時期に始まったと考えられます。
また、職種転換により働く場所を確保するための施策も積極的に行われ、工場労働者が営業部門や技術部門に転換していく、真に“過去の経験の無い”時期となってきました。新幹線が整備され、東京から100キロ圏内は通勤圏ということとなり、遠距離通勤をする方が増え、働く人への負担が多くなってきました。
一般的に労働組合の活動は「働く人たちの労働条件の向上がメイン」と考えられていますが、ダイコハラは、それよりももっと「自宅から通える場所に働ける場があること」が大切と自分自身で判断し、工場の中国進出を積極的に行いながらも、国内の工場の確保のために「失業無き労働の移動」に取り組みました。
カウンセリング=個人の自己理解を支援する
ダイコハラは、大きく職種転換する方や、長年愛してきた会社を退職し、他の会社に転進する方、事業部門の別会社化により転籍する方など、様々な方々の面接対応をしてきました。会社側から組合員個人に“転籍”の依頼をして、労組役員が最終的な本人の同意を取る面接を行いますが、本人は愛する会社を思い、そして、家族を思い、故郷を思い、おかれた自分自身を見つめ、戸惑いや怒りや孤独感など、様々な感情がうごめいている様子を目の当たりにしました。中には“最後っ屁”ということで、今までの会社人生での怒りを、すべて吐き出す方もいました。このような方々の面接を行うとき、ダイコハラ自身が落ち込んでしまいそうになったことは、数多くありました。しかし、多くの方々と面接を重ねる中で、“自分に出来ることは、転進・転籍などの対象となった組合員の話を、しっかりと聴く事”という気持ちになり、独学でプチカウンセリングのように面接し始め、その後、産業カウンセラー養成講座を受けて資格を取り、丁寧な面接を行うことが出来たと思っています。
当初は「何で自分が会社を辞めなくてはいけないのか?納得できない!!」「何で俺が選ばれたのか?」など、怒りのモードは200%という状態の方や、「自分は新しい仕事に転換できそうに無い」とおっしゃっていた方から、面接をしている中で、「自分のスキルなら次の会社でも仕事ができるし、自分は歓迎されているようだ そのうえ元気でいれば雇用延長もある」などとの言葉が出てきて、最終的には「転籍して新しい会社でがんばるよ」と発言してくれる方が数多くいました。各自が自己理解を深め、自分のおかれた環境を明確化した上で、「よりよい自分になるために・・・」というポジティブな感情に変容してくれた成果だと思われます。
キャリア開発=エンプロイヤビリティーの向上の支援
成果主義賃金制度の導入時は、「学歴や経験年数・性別で決める年功賃金ではなく、仕事に見合った賃金にする」ということで導入されました。例えば、野球選手で「打率3割、ホームラン30本の人は年収1億円」というように、仕事に見合う成果で評価される仕組みに変化しました。この制度により、一人ひとりには厳しい制度ですが、やりがいが感じられるようになってきましたし、高卒/大卒、男性/女性の賃金差は無くなり、職場の活性化が図れてきました。いろいろな大学の先生方が「成果主義賃金制度の誤り」と題して評論していますが、ダイコハラとしては「成果主義賃金制度の導入は誤りではなく、その後の制度運用に問題があった」と思っています。同業の大手電機メーカーでの成果主義賃金についての暴露本が、ベストセラーになりましたが、問題は社員一人ひとりがスキルアップの努力が足りなかったり、自己主張(アサーション)の経験が無かったことが問題と思われます。合わせて、評価する管理職の能力や配慮の不足などが問題だと思っています。ダイコハラは労組役員として、成果主義賃金制度により高卒の方が約6万円も給料が上がったり、性別の差別が無くなり(表面的には無かったが・・・)女性の役職者が増えてきた事実を知っています。
このような環境下での労働組合は「賃金上げろ!」という取り組みも重要ですが、もっと大切なことは、組合員一人ひとりのエンプロイヤビリティー(雇用される価値)をあげることだと思います。その方が、処遇改善になりますし、自分の考えをしっかりと主張(アサーション)するトレーニングがより重要になっています。
ダイコハラの年表 | |
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1975年 | 情報通信企業(株)入社。製造技術部・技術センターに所属。 |
1990年 | 労組専従役員に就任。企業の事業構造改革(リストラ)の対応。 |
2006年 | 労組退任後、人事部キャリアサポートチーム立ち上げ。 |
2009年 | 独立。「株式会社 ラポール企画」設立。 |
ダイコハラの関わってきた電機連合では、2003年からキャリア開発推進者の育成が始まっていますが、ダイコハラはこの一期生になります。現在では多くの企業で様々なキャリア開発研修を行っていますが、会社によっては50歳代になると「そろそろほかの会社を考えたら・・・」といった意識的な研修も、一般的に行われているようです。当時、ダイコハラが行ったキャリア研修では、「会社が潰れても生きられる人になろう」を テーマに、組合員一人づつに対して2日間じっくりカウンセリングを行い、一人ひとりが自分自身に向き合い、自分自身のキャリアを策定する取り組みをして きました。労組で行う研修ですが、会社側の協力を頂き、会社施設を使用して労組役員で電機連合のキャリア開発推進者研修を受けたものが、講師として手作りで行ってきました。この研修を機に、「実家の仕事をするので会社辞める」「ライフキャリアを考えて、結婚することにした」「新しい資格取得した」など、様々な変化が起こってきています。
企業の生産体制が一段落した2006年に労働組合役員の生活が終わり、本社人事部へ配属されキャリアカウンセリングを専門職として行ってきましたが、2009年2月20日を持って退職し、「ラポ-ル企画」を立ちあげて、産業カウンセリング、キャリアカウンセリングなどを統合し、企業(組織)へのソリューションを加えた【システムカウンセリング】を行っています。
株式会社 ラポール企画